【中学校では】
―想定外の連続を教訓に―
地震がおきた時、卒業式後にたくさん活けてあった花瓶を押さえ、校舎が揺れるのを見て外に出た職員からは悲鳴が上がりました。ちょうど生徒は教室で帰り学活の最中でした。
緊急放送を入れようとしましたが、すぐに停電になってしまったために校内放送が使えません。各階に指示を出すために先生が伝令に走りました。連絡を取ろうにも電話が使えず、パソコン・テレビ・ラジオの情報源も働きません。手動で電気を起こす非常時用ラジオが役にたちました。
生徒の集団下校(小学校では父母が引き取るまで待機です。)では、信号が消えているために歩行者はとても危ない状態になり、引率の先生が車を止めて生徒達を渡らせるという想定外のことがありました。
プールの水は大きな揺れにより滝のようになり、隣の歩道や車道まであふれ出し、揺れが収まってもしばらく止まりませんでした。また、学校は警備会社による集中管理になっているため電気が回復するまで施錠が出来ずに、夜の10時半まで帰れない先生もいました。
毎年、避難訓練は行っていますが実際に停電になってみると、たくさんの想定外のことが起こりました。その後の反省から、ハンドマイクや非常時用ラジオの場所が全員に周知され、下校途中に道路の信号が消えることに対応するために下校班を編成しなおし、信号を渡る班には担当の先生が増員されました。
今回は校舎や道路が壊れることもなく学活中だったため、混乱は起きずに下校することができましたが、登下校途中、休憩時間中だったら混乱は大きかったと思います。正確な情報の収集、想定外のことをどこまで想定するかが難しい問題だと感じました。
【給食では】
―安全に給食を―
3月11日の地震が午前中だったらと思うとゾッとします。学校の屋上にあるプールの水が大揺れし大量にこぼれたそうです。揚げ物の油が冷めずにこぼれていたら、やけどにとどまらず火災がおきていたかもしれません。
当日は午後だったので、停電になった学校は食器洗浄機が使えず水で食器を手洗いしたとのこと。断水や、ガス漏れ、怪我人は幸いなかったようです。
退庁も学校により、様々で、学校待機で夜遅くになったり、逆に早く帰宅させてもらえたりと、どの対応が正しいのかと今後の課題だと痛感しました。
翌週の月曜日もパンと牛乳だけの給食や、計画停電を気にしながら全て作っていた学校もありましたが、電気がとまると作業ができないので、学年末あと一週間余りで、給食中止となってしまいました。
【保育園では】
―子供たちを守る―
ちょうど地震があった頃、保育園ではお昼寝から起きて着替えをしている最中でした。
私は調理員なのでちょうど3時のオヤツを仕上げ、後は取りにくるのを待つばかりの時に起こりました。まずは、火の元を消し様子をみましたが、あまりにも揺れが続くので、0歳の避難のために2階に駆け付けました。
乳児はまとまって一つの部屋にいて、保育士は子供たちに布団を被せて治まるのを待っていました。
そして少し揺れが小さくなった頃に、おんぶをしたり手をつないだりしながら、1階のホールに避難しました。
その後、電車などが止まったなどの情報が入り、保護者たちがなかなかお迎えに来れないことがわかり、私を含め職員は7名残ることになりました。
急遽、夕食にうどんを作って食べさせ、夜9時の時点ではまだ5人ほど残っていたので寝かして待つことになりました。結局、最後にきたお迎えの方は、大森から歩いて来られて夜中の2時に来られました。
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